2012年12月26日水曜日

【26日(水)16:30@民主党本部】
先程、民主党の両院議員総会で海江田万里・代表から主要役員人事が提案され承認されました。

代表代行:大畠章宏・衆議員、
幹事長:細野豪志・衆議員、
幹事長代行:中川正春・衆議員、
幹事長代理:馬淵澄夫・衆議員、柳田稔・参議員、
政調会長:櫻井充・参議員、
政調会長代行:松本剛明・衆議員、
国対委員長:高木義明・衆議員、
国対委員長代行:松原仁・衆議員。

両院総会場で、細野幹事長から、党再生に向けての委員会、綱領改定の委員会などを早急に発足させ、全国的な意見も聞きながら、党再生に向けて取り組むとの表明がありました。

2012年12月18日火曜日

今回の総選挙、立候補会見と党の公認が、
選挙公示の6日前という中で、
党や支援団体のみなさん、
2区地元の地方議員や支援者のみなさん、
私の親族はもとより、
選挙区を超えて、
小中学校時代、高校・大学時代の同級生や恩師、
育てていただいた千葉の実家の近所の方々や剣道関係のみなさん、
国際協力推進協会時代の上司や友人、
東南アジア青年の船の仲間、
政経塾の先輩、後輩など、
全国から多くの知人・友人が応援に駆けつけてくれました。
本当に涙が出るほどうれしかった。
みんなの力で背中を押して頂いて何の不安も心配もなく、
思う存分に闘い抜くことができました。
感謝の言葉もないくらいです。
私に投票いただいた有権者の皆様の思い、
そしてともに闘ったみなさんの思いに応えるために、
日本の民主政治を前進させていきたいと
強く決意しています。
今回の総選挙で私が闘った千葉2区では、
前任者が離党、強い逆風の中で、
46883名もの方が
日本を前へ進めようと
力を合わせて推して頂きました。
本当にありがとうございました。

力が及ばず、
皆様の思いを議席につなげられず、
大変申し訳ありませんでした。

お預かりした皆様の思いを心の支えとして、
これからもしっかりと前に進みます。
よろしくご指導、ご支援ください。

2012年12月3日月曜日

公示日以降、公職選挙法により更新できません

4日(火)公示日以降、ホームページ、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどは、更新できないとのこと。みなさんにお伝えし、お返事したり、お聞きする手立てがしばし断たれてしまうことは、本当に残念です。日本の民主主義をさらに進化させるために、こうした新たな技術を政治にどう生かすのか、も大きなテーマとして取り組みたいです。ソーシャルメディアとソーシャルイノベーション、社会改革や政治。政治が社会をつくっていく行動ならば、私たちは、対話や情報交換に使える手立ては、どんどん取り込んでいくべきだと思います。現状では、しばらくの間、発信、返信などができないことを、どうぞお許しください。

妻が見た「ひぐちひろやす」はこんな人(最終回)


1125日(日)職場(民主党党本部)のひろやすから「大変なことになった!」と電話が入りました。候補者のいない千葉二区から、どうしても選挙に出て欲しいと言われたと。私は、UFOがいきなり頭に落ちて来たような気がしました。

けれどもひろやすは、政経塾の先輩である野田代表からの依頼に、すぐに決意し、「やるからには全力を尽くす!」と全力疾走で駆け出しました。

私は、初め呆気(あっけ)にとられるばかりでしたが、元気一杯頑張るひろやすを見て、この人は本当に損得勘定のない人なんだなとあらためて思いました。

後援会も何もないゼロからのスタートでしたが、ひろやすの応援を買って出て下さる熱い方々が、続々と現われ、本当にびっくりしました。奈良から飛んで来て下さった方もいらっしゃいました。お一人お一人のお気持ちが本当に嬉しく、有り難く、胸が詰まります。

ひろやすは、聖人君主ではありませんし、「明るく大らか」な性格は、「能天気でズボラ」とも言えます。

それでも突然立候補をしたひろやすのことを熱心に応援して下さる方々が、これほどいらっしゃるのは、ひろやすが、自分を計算に入れずに、理想を目指して生きてきたからなのだろうと思います。

出会った時から変わらなかったひろやすは、これから先もずっと変わらないのだと思います。


街頭演説。野田総理が、ひぐちひろやすを紹介

昨日のJR千葉駅東口での街頭演説です。



2012年12月2日日曜日

妻が見た「ひぐちひろやす」ってこんな人(その2)

ひろやすと会ったのは、22才の時。ひろやすは、25才でした。「日本を良くしたいんだ」と楽しそうに理想を語るちょっと浮世離れした(お金や地位に全然興味のない)人でした。

友だち同士が、2年後に付き合い始め、2年後に結婚しました。披露宴では友人が「ひぐち=金がない+酒が好き」とスピーチしました。「ホントだね~」と2人で笑いました。その後24年間、それは、「不変の定理」となっています。

考えてみると、ひろやすは、出会った時から28年、不思議と変わりませんでしたね。楽天的な性格も、理想も、体型も、元々ちょっと寂しげだった髪も。「日本を良くしたいんだ」と青年のようなことを言い続けて53になりました。

ひろやすは、常に裏方でがむしゃらに働いてきました。若い頃は、毎日終電でした。
国際会議の裏方から国際協力推進活動の裏方へ。そして12年前に民主党党本部の職員に。

直後に「誰もいないから佐賀から出てくれ」と、国会議員になっていた政経塾同期の原口一博さんに突然頼まれて立候補。選挙後は、党本部に戻り、役員室で、歴代の代表と幹事長に仕えてきました。
政権交代までの10年間は、長い長い日々でした。

「ひろやす自身は、日本を良くするという理想を実現するためなら市議でも国会議員でもと思っていたと思うんですが、私が佐賀の選挙後に体調を崩し、8年前に病気になってからは、そういう道を選びませんでした。(ひろやすは、私のせいではないと言いますが・・。)

私から見ると、理想に向かって頑張っても頑張っても、報われることの少ない28年だった気がします。
 
東日本大震災の時も震災の日から1週間、ひろやすは、自宅に帰って来ませんでした。連日ほぼ徹夜で、生存者の救出、救援物資の手配などを国会議員や同僚職員と一緒に死に物狂いで働いていました。

疲れ切って自宅に帰って来た時、「どれだけ頑張っても全員を救うことができない」と自分を責めていました。あの時、党本部がしたことは何1つ報道せず、「あれもしない、これもできていない」と批判ばかり繰り返すマスコミが、本当に悲しかったです。

(続く)

 

本日9時30分。JR千葉駅東口で街頭演説をします!

おはようございます。
本日2日、9時30分より、
JR千葉駅東口で、
民主党千葉1区の街頭演説会が開催されます。

たじま要・民主党千葉県連代表のご配慮で、
私、ひぐちひろやす、も、みなさんにご挨拶する機会を
いただきました。

野田民主党代表、総理も来られる予定と聞いています。
(北朝鮮のミサイル対応があり、難しいかもしれませんが。)

急なご案内になり、日曜日の早朝時間で恐縮ですが、
こちらでご挨拶ははじめてとなります。
私の声をお伝えしたい一心で、ご案内させていただきます。



2012年12月1日土曜日

妻が見た「ひぐちひろやす」ってこんな人


はじめまして。
ひぐちなおみと申します。

横から急に失礼します。おじゃまとは思いますが、大忙しのひろやすブログを書いている時間もなく、突然、バトンを渡されました。

ひろやすは、「政治家の先生」のイメージからおよそ遠い人なので、私もありのままに、50才の普通の主婦としてひろやすのことを書いてみようかと思います。
まずスーツではなく、普段着の時の様子から。

ひろやすは、趣味が多くてじっとしていない人です。
 
剣道は、子供の頃、千葉市小倉台のスポーツ少年団でやっていました。花見川剣友会とはライバルだったそうです。

本格的な再開は、16年前。当時2段。
2人の子供と私(初心者)といっしょに、家族4人で始めました。私と子供たちは、それぞれ初段・2段・3段を取って止めましたが、ひろやすは、地域の子供たちの稽古と大人の稽古の両方に熱心に通い続けています。

3年前からは「年に百回稽古をする」と決めて、なんとか実現しています。
失敗しても失敗しても昇段審査を受け続け、いつのまにか6段を目指す人になりました。

趣味は、他に楽器(ほぼなんでも)と歌。
家ではピアノを弾きながら大声でオフコースやサザンを歌っています。

小中学校の同級生とバンドもやっています。敬老の日には、毎年慰問演奏に行くのが楽しいみたいです。

『仕事が忙しい分、休日くらい休めばいいのに』と思うんですが、本当に元気な人です。

語学も好きで、中国語は、テレビとラジオの講座で長年コツコツやっています。
「何年やってもいざとなると会話にならないなぁ!」と悔しがってはいますが。
一緒にテレビで手話の勉強をしたこともあります。

何にでも興味を持って、何でもまずやってみる人ですね。
政経塾時代は、同期生の一人から「たこ足ひぐち」と評されたそうです。

(つづく)