2015年3月13日金曜日

岡田代表とメルケル首相との会談で思ったこと

民主党国際局事務局として陪席しました。記事:http://www.dpj.or.jp/article/106333/

写真撮影の時に逆光だったのですが、目の治療にカメラのフラッシュがよくないと聞くと、「こっちでどう?」とみなさんを気さくにご案内されたメルケル首相。とても魅力的な親しみやすい方で、私もつい引き寄せられておそばに近づきたくなるように感じました。

会談に陪席して、「過去のことに決着をつけるということは不可能なこと。時代が変わろうと時代時代で絶えず歴史にきちんと向き合っていかなくてはいけない」と、自国の歴史を正面から受け止めて真摯に対処するというメルケル首相の言葉を直接、聞いて、その深い覚悟と強烈な意志にとても強く胸を打たれました。

岡田代表も、今でもさまざまな議論が日本国内であることは、「70年前の戦争について、日本がきちんと総括していないところにある」と言われていますが、私も常々、そのように思っています。

東京裁判は戦勝国が裁いた、日本国憲法はアメリカに押し付けられた、日本は悪くないという声も多く聞きます。評価はあるでしょうが、では自ら日本として自主的にどのように総括するのか、そうした議論は東西冷戦等、戦後の国際政治の奔流の中で、棚上げにされてきたのではないでしょうか。

民主党では、10年ほど前から、当時の岡田代表時代から、藤井裕久・前衆議院議員を中心に「近現代史研究会」という勉強会を断続的にではありますが、続けて来ています。
明治維新からなぜ日本は日中戦争、太平洋戦争へと戦争の道を進んできたのか、議会は、ジャーナリズムは、国民世論は、どうなってきたのか。政治の責任は何か。二度と戦争への道を歩まないように、歴史を学び、それを現在と未来の行動の指針の鑑にしなくてはいけない、という問題意識によるものです。

また私は、日本国内での議論が、自分たちのこと、国内のことばかり気にして、本当に和解しなくてはいけない隣人の心や状況についてもっとしっかりと聞くこと、その上で相互が本当に分かり合うこと、そうした対話の努力、和解の努力がまだまだ足りていないということを感じました。

今回、特にメルケル首相の「歴史に決着をつけることは不可能。時代時代で歴史と向き合っていかなくてはいけない」という言葉は、聖書でいう人間に負わされた「原罪」のようにドイツが受け止めているように聞こえました。ドイツはナチスのこと、ホロコーストのことについては、今でも、そしてこれからも被害者はもとより、世界に対して謝罪をしていく、という強烈な意志です。その明確な意思の表明があるからこそ、ドイツは二度と過ちを起こさないという信頼を隣国や各国に与えているのだと思います。

日本人としても、歴史上で引き起こした事実、悲劇は決して忘れない、代々伝え、背にしょって生きていくという覚悟が大切で、それこそが、歴史に学ぶ、歴史を鑑として生きていく、という姿だと思います。